
Kylie Jenner カイリージェンナー。
日本では彼女がどのように消化されているかはあまりわからないが、彼女の母国アメリカにおいては「整形*」「展開製品の悪い品質*」「ネポベイビー」のイメージを抱く人は少ない。しかし、「なぜ有名なのか」と嫌味で言われがちは彼女は、ある種の時代を象徴する存在である。
*ぷっくりとしたリップを叶えると謳ったコスメ販売の後、美容医療によるものと告白。
*水着ラインが一般体型には向かないサイジング、シースルー、ほつれなどのクオリティーetc.
OJシンプソン裁判担当の有名弁護士の娘>初代インフルエンサーとも言えるパリスヒルトンの親友>ブランディー弟とのsexテープ流出>リアリティーTVスターとなったキムカーダシアンの妹*であり、幼少期から姉のショーに登場し、姉たちのアルメニアと美容整形による美と常に比較をされ育つ。
彼女自身が存在感を放つようになったのは、彼女の唇が大きくなった時のこと。
周りが彼女の唇を真似しようと大怪我にも繋がったリップチャレンジや、紹介したM・A・Cのリップ即完。その後彼女が立ち上げたコスメブランドが成功*したというのがかなりざっくりとした流れだろう。
*Forbesの「The Youngest Self-made Billionaire (最も若いセルフメイドのビリオネア)」に選ばれるが、後に虚偽によるものと報道される。
「女優でもなく、モデルでもない、彼女の売り出す美は人口的である。」
そんな彼女を人々やメディアは古典的に批判をする。「なぜ彼女のような人が成功するのか」「整形により老けている」「なぜ彼女がティモシーと付き合えるのか」と。しかし、彼女ほど現代における美の複雑さを体現する人は多く無い。
ハリウッドにおける美容整形なんて暗黙の了解であり、ボトックスを打っていない方が珍しいもの。しかし古典的セレブたちのそれは、その生まれ持った美しさを武器として活躍してきたフィールドで輝き続けるため対処法・強迫観念のようにに見て取れる。「Kylieが体現する美」は、そのハリウッドの厳しさや虚しさとはまた違う。
有名一家の娘として生まれただけで無意識に”比較”や”見定め”と言ったスポットライトをあてられて育った彼女。初めて彼女自身が初めて脚光を浴びたリップフィラーによる唇は、古典的セレブのデビュー作やヒット作のようなものなのである。
美容医療による美によって注目を集めた彼女は、批判を浴びれば浴びるほど、そのカウンターパートのように最初の賞賛を実現しようとする。古典的セレブが最初のブレイク作を超えることを目指すように、さらなる美を目指すのである。
賞賛を浴びるための彼女が唯一知っている対処法は美なのであり、美容医療・整形なのであり、今の彼女がいるのである。そんな彼女がレッドカーペットを歩く時、そしてその容姿が批判の対象となる時、彼女は私たちが毎日戦う「美の呪い」を具現化する。
美容医療や整形が今まで以上に身近な現代。誰もが努力によって綺麗になれると言われるような現代が見れる幻覚。追っても決して手に入らない何か、向き合っても決して消えきらない恐怖。スポットライトにあたるたび、彼女は無意識に現代美の複雑さを象徴するのであり、何か切ないものを、優しくも残酷に私たちへと訴えかけるのである。
そんな彼女を私は嫌いにはなれず、彼女を見るたびに愛おしさを覚えるのである。
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